2016年3月31日木曜日

インプレッサで車中泊 -長野(2日目)-

さて二日目。日が昇った6時頃起床。洗顔、歯磨きし、
夜でわからなかった道の駅を改めて散策すると、目の前に
奇勝が。

岩鼻(いわばな)という名所で、千曲川を挟んで写真の絶壁と対岸にも
崖があり、向かい合う形になってます。昔はこの崖同士は結ばれていて、
千曲川の浸食でここまで削られたとのことです。


小高い山道を車で10分ほど上り、須川湖に。長野では有名なバススポット
のようですがかなりスレているとの情報。当日まだかなり水温低く、あまり
生命力も感じませんで、1Hほど試しに探りましたが、全く無反応。早すぎた
ようですね。即撤収!

●砥石城
さぁ砥石城です。以前上田城は訪問済みだったので、今回はこちらに。
上田城が真田家の次の仙石家時代の遺構であり、かつ市内の平城ということ
であまり思入れがなかったのですが、こちらは好きな中世山城。期待です。
砥石城といえば砥石崩れが有名ですね。信玄が村上義清に手痛い敗北を喫し、
重臣横田高松が戦死しています。そして真田幸隆による調略でついに陥落する
わけです。




麓の駐車場にあった案内板と真田丸Verの周辺観光スポット案内。
トイレ含めまだ真新しい施設ばかりです。ドラマも高視聴率ですし、
観光客多くなってくるかもですね。朝早い平日なので誰も居ません(笑。



駐車場から登山道登り始めるとすぐに復元櫓門が。こういうのいいですね。
ただ正面に変な武将の肖像画が。なんじゃこりゃ。雰囲気ぶち壊し。


櫓門を抜けるとなだらかですが延々続く尾根道が。こりゃキツそうです。


だいぶ歩きましたがまだまだのようで。あと○mとかの案内欲しいな。


ようやく○mの標識が。砥石城本丸と米山城の分岐点。因みに砥石城とは
4つの主郭(城本丸に相当する砦?)から構成されている山城一帯を指し、
米山城もその一つというわけです。当然米山城から行ってみます。


急峻な尾根道を登ります。足場が無く木に張られたロープを頼りにしないと
登れないです。靴もサンダルやスニーカではズルズルで厳しいでしょう。
トレッキングシューズの方が。にしてもキツイ!



ようやく頂上に。北アルプスがきれいです。村上義清の碑がありました。
途中切岸などの遺構もかなり残ってました。


先ほどの分岐まで戻ります。下りもロープを掴んでないと降りられないです。
砥石城への道ですが、こちらはある程度階段が整備されていますが、その角度
と距離がえぐい!延々続いています・・・




休み休みようやくたどり着き。息が完全に上がってます(汗。
こりゃ完全な登山ですね。それだけ堅固さが伝わります。眺望は
絶景です。



富士見100景だそうで、確かに見えました。

この先まだ本城、枡形城とあるのですが、腹の具合が悪くなってきてしまい、
ここで無念の撤収としました。しかし砥石城なめてはいけませんね。
確か登山口にそんな注意看板がありました(汗。


●海津城
次に長野市へ向かい、海津城へ。海津城は信玄が、越後からの侵攻の防衛
拠点として、山本勘助に命じて築城されたといわれる城で、あの川中島の合戦
でも重要な戦略拠点となった城として有名です。その後江戸時代に真田信之
が入城し、松代と名を変えて松代真田藩となるのです。






途中、明徳寺に寄ります。ここには武田四名臣の一人で海津城城主、
高坂昌信の墓があります。あとこの松代出身の栗林中将の墓碑も。
お参りしました。







戦国期の遺構は皆無で、現在復元されているのは松代藩時代の近世の遺構
ですね。石垣や門、堀、土塀などきれいに整備されています。








ここまできれに復元・整備されているとは思わず、なかなかの観光スポット
ではないでしょうかね。珍しい埋門などもありましたが、写真ピンボケ。
興味ある方はネット検索してください(汗。

●八幡原史跡公園
長野市内で昼食を取って、八幡原史跡公園へ。そう川中島合戦の跡です。
信玄vs謙信の都合五度に渡る合戦中、最も激戦となった第四次合戦の跡に
なります。その他は基本睨み合いと小競り合いだけでした。


まぁ市内でもありますし、古戦場なので遺構も何もないですね。
有名な一騎打ちシーンの銅像しか。風林火山と毘龍の旗がいいですね。
因みに大将が一人で切り込んで、しかも敵大将まで迫る、ということは
ま、ありえませんね(笑。でもロマンがあっていいです。


布陣図がありましたが・・・なんかボロボロで。全国的に有名なスポット
なんだからもうちょっときれいなものにしましょうよ(苦笑。
この合戦では、山本勘助、馬場信春により立案されたという啄木鳥戦法が
有名ですね。武田軍は二手に別れ、馬場、高坂等に引き入れられた大規模
別働隊(こちらの方が兵数が多い)が妻上山攻撃中の上杉軍を攻め、上杉軍
がこれに驚き退いて山を降りたところを、待ち構えている本隊と挟撃する、
という啄木鳥の虫を取る方法になぞらえた作戦を取りますが、謙信はこれを看破。
夜陰に乗じて先に山を降り、八幡原に進出、布陣します。朝になり霧が晴れると、
武田軍本隊の前に居るはずの無い上杉軍が。混乱する武田軍に対し、上杉軍が
車懸かかりの陣で突撃を開始。武田軍本隊は防戦一方になり、その中で武田信繁、
山本勘助らを失います。しかし何とか本隊は瓦解を抑え、そのうちに別働隊が
上杉軍背後にようやく追いつき、挟撃が完成。これを期に形成逆転し、上杉軍
は撤退します。
双方の犠牲は武田4000余、上杉3000余という大変なもので、いかに激戦であっ
たかと想像できます。勝敗についてははっきりしていませんが、上杉の侵攻を
防衛した武田の戦略的な勝利ではあります。しかし有能な重臣を数々失った
のは武田軍の方が多く、まさに痛み分けであったことでしょう。

全国区なのにちょっと残念な史跡公園という感想です(苦笑。


これで今回の観光は終了。まだ昼すぎなので、下道でのんびりドライブがてら
軽井沢まで戻ります。途中、意図してなかったのですが、あの痛ましいスキー
ツアーバス転落事故現場を通ってしまいました。事故から二ヶ月ほど経ってま
すが、未だに多くの献花や、訪れてる人が多かったです。合掌。
高崎まで抜けて、藤岡ICから高速に乗り帰宅しました。


0 件のコメント:

コメントを投稿