2015年11月27日金曜日

惨敗・小菅村

山梨県の小菅村までドライブに。終点道の駅に温泉もあり、そこを目的に。
帰路は奥多摩周遊道路にて。



しかしこの県道18号、途中対向車線が無くなった辺りから、主線と脇道がわからなくなる
箇所があり、ナビでも気づかず結局獣道的な山道へ迷い込むことに。途中で気づいて引き返す
もUターンスペースがなく、ようやく民家の駐車スペースを借りてUターンするも、後ろ
バンパーをブロック塀にこすってしまった・・・ガックリ(泣。


ようやく道の駅「こすげ」に。さぁ温泉だ、と気持ちを切り替え入り口に向かったら、
なんと定休日!!え”-チェックしたのに・・・と再度サイトみたらなんと唯一の
定休日の第4金曜日でしたとさ・・・またまたガックシ。

帰路は奥多摩周遊道を爆走して帰りましたとさ(泣。
最低のドライブでした。いずれリベンジします。


2015年11月11日水曜日

インプレッサで車中泊 -群馬-

過去、温泉旅行などで度々訪れていますが、趣味一辺倒の旅として
ようやくの実現です。

概要プランは以下。
1)関越~上信越道・下仁田下車。妙義山に。
  ナイトキッズとバトル。
2)箕輪城攻略。
3)渋川市の日帰り温泉~道の駅中山盆地にて車中泊。
4)沼田城攻略。
5)岩櫃城攻略。
6)榛名山へ。藤原豆腐店号を探す。
  見つからなければそのまま帰宅。

●妙義山
イニシャルD登場コース巡礼の一環。群馬県道196号線を走行し、堪能しました。
中之岳の駐車場で妙義山を仰ぎ見ました。初めてですがすごい山ですね。まさに奇山
というにふさわしい。


ここで周囲の山々を眺めてたら、ん!?という景色↓が目に止まる。

拡大↓

何だ?あの切り立った人工的な部分は?
帰宅後いろいろ調べたらようやく「荒船山」という有名な山だと
判明。今度絶対に行こう!

●箕輪城
知る人ぞ知る関東有数の名城。信長の野望でも堅固な城として表現されてます(笑。
この地を支配した豪族長野氏による築城で、後に武田信玄の度重なる攻撃を跳ね返し、
名君としても名高い長野業正の居城。業正の死後にようやく調略などで陥落し、その
後は、内藤昌秀、昌月、滝川一益、北条氏邦、井伊直政などそうそうたる面々が城代
となりました。日本100名城にもなってます。ようやくの探訪です。

かなりの規模ですが、比高はそれほど感じられません。

無料駐車場のある、かつては大手口であったとされる搦手口から入ります。
なぜか幟には武田菱。





堀や土塁はそれなりに残ってますが、あまり深さや堅固さは感じれません。
かなり埋まってしまってるのでしょうか?



本丸。かなりの広さです。他の郭もかなり広い規模でした。


見所の一つ三の丸の石垣。保存状態はいいですね。ただこの石垣も
その高さ・規模からいって防御施設というよりは、郭の崩れ防止の為の
ものではないでしょうか。


堀切と土橋。ここもあまり深さが無かったですね。工事中で立ち入り禁止でした。

(感想)
期待が大きかった分、規模感が乏しく、特に堀や土塁の高さや、山自体の比高も無く、
本当にこの城に十分な防御力があったのか想像が難しいです。もっと堀も土塁も
深く高かったとしか思えませんね。

●温泉入って車中泊
温泉は渋川にある「ばんどうの湯」に。
http://www.bandounoyu.com/
きれいで料金も安く、渋川市が一望できるなかなかのところでしたが、
ちょっと狭く、地元のじいさんの占拠状態でした(汗。
洗い場が空いてなく、ようやく一番端が空いたと思ったら、シャワーが年季の入った
ガムテープで巻かれてて、湯出したら根元から漏れて役に立たず。さっさと直して。
さっぱりした後、翌日の観光地に近い道の駅「中山盆地」へ。

できたばかりでとてもきれい。平日夜着だったので車は2、3台しか止まって
ませんでした。温泉もありましたね。で来年の大河「真田丸」にかこつけた
真田街道の幟が。どうやら真田家ゆかりの地である長野県上田からここ群馬吾妻
地域までを真田街道と名打って一大キャンペーン中のようです(笑
温泉に入らなかったのでまた来てみたいですね。

●沼田城
さぁ沼田城です。北関東の重要な拠点として上杉、北条、武田が争奪を繰り広げた城。
そして真田昌幸に攻略され、武田滅亡後に一度織田の属城となりますが、天正壬午の乱で
再び真田の支配となり、最終的に息子信之の城として沼田藩となります。関ヶ原合戦前に
信之の嫁・小松姫が、義父にあたる昌幸が立ち寄った際に、昌幸が西軍に着いたことから、
頑として城内に立ち入らせなかった、という逸話などでも有名ですね。とにかく真田ファン
なら必ず訪れたいところ。私もその一人(笑



三の丸跡の無料駐車場に。平日朝にもかかわらずほぼ満車!?
あぁ地元車ばかりか。こりゃ観光じゃないな。


城跡規模は予想外に狭く、本丸も公園に。なぜか鳥小屋がたくさんあって、
さながら鳥園のように。その企図は不明。


見所の一つ鐘楼。信之時代に作られた櫓でもあったものの復元。




本丸風景。遺構はほとんど感じられず、単なる公園と化してました。
よって地元の年配の方のウォーキング場に。そんな中で観光気分は皆無。
写真撮影も憚られ(汗。


見所の一つ西櫓台の石垣。崖上に少しだけ積まれています。
(と自分の写真はピンボケだったので、ネットからの拝借写真です(汗))


堀。右に崩れているところに石垣の痕跡有り。

(感想)
う~む、有名な城にも関わらず、あまりの状況で期待外れでした。
他の郭もテニスコートや野球場になってて、もはや城跡スポットとは言い難く。
なのでまったくお薦めできない城跡です(苦笑。

●岩櫃城
そしてついに岩櫃城です!今回の旅はココに来るのが一番の目的でもありました。
真田昌幸の父、幸隆により攻略され、以降真田家の城となっています。この城が
歴史の表舞台に出てくるのは、武田家滅亡に瀕した際に、敗走する勝頼一向を昌幸
が同城に迎え入れようとしたところではないでしょうか。それで存在を知った私は
さらにこの城の写真や、特に断崖絶壁の岩櫃山の写真を見て、その強烈なインパクト
にやられた口です。



登山口にあるトイレ付無料駐車場に駐車し、いざ登城です。
なおこの登山口までは不案内なので、行く方はGoogleマップなどで
十分に道を確認しましょう。迷いますよ。




いきなり急坂を登ることに。おそらく一部竪堀なのでしょう。それにしても
険しくすぐに息上がります(汗。しかし心の中ではスゲェスゲェと連呼状態。


三の丸に該当する中城。まずここに辿り着きます。かなり広大な規模です。


その脇の竪堀と思われる登山道を。険しすぎで登れるか不安になるくらい。



二の丸から本丸も見上げる。横堀、竪堀が組み合わされ、その高低差もスゲェ!


本丸から竪堀を見下ろす。しかしすんごい斜度。



本丸着。東屋に真田丸、真田街道の幟。そりゃこの城は外せませんね。


本丸からさらに奥に道が。案内が無かったですがどうやら岩櫃山への登山道の
ようで。かつても物見の場所だったと思われるほど本丸と高低差があり、急坂
続きで体力も限界に。途中で引き返しました(汗




下山してから潜龍院跡へ。ここは昌幸が勝頼を迎えるために建てた館跡です。
ただ私の目的は写真の岩櫃山の絶壁を見たいため。跡地の入り口にある駐車場
からの写真です。まぁすごい絶壁でさすがの壮観な眺めでした。

(感想)
さすが噂通りの山城でした。写真でなかなか伝わりませんが、その網の目の
ような横堀、竪堀。各郭の規模やその高低差に圧倒され通しでした。山城ファン、
真田ファンなら訪れるべき城ですね!ただ人気の無い山奥ですので、熊よけ鈴
など必須と思います。

●榛名山
最後帰路途中ということで榛名山・湖へ。もちろんダウンヒルはスピードスターズ
のホーム、県道33号を(笑。


↑そうここが秋名ダウンヒルスタート地点。思わず撮影(笑。


ハードスケジュールでしたが念願の城訪問もでき、充実の旅でした。


2015年11月9日月曜日

滝山城

東京に残る戦国期の名城として、滝山城があります。
実家に近かったのですが行く機会が無く、今回足ができたことで
念願の初攻略です。

八王子市の北端丘陵地に多摩川を天然の堀とする位置にある山城。武蔵守護代の
大石氏により築城され、後その娘婿として継いだ北条氏照により大改修をされ、
かなりの大規模な城に。武田信玄の小田原攻略の途中で攻城戦が発生し、三の丸
まで攻め込まれ落城寸前となったが何とか耐えた堅城と言われています。
現在は都立滝山公園としてきれいに整備されています。



入り口に無料駐車場あり。背後のこんもりとした山が城山となります。




散策道や案内板、崖際の柵などが公園としてとてもきれいに整備されていますが、
土塁や空堀などの遺構もかなりきれいに残っていることが確認できます。


本丸と中の丸の間の堀切。かなりの深さです。


その堀切に復元された曳橋。



本丸。霞神社という神社があります。


本丸からの眺望。かつて風林火山の軍旗で埋まったのでしょうか。


こんな幟が。今一大河としてはインパクトに欠ける感ありますが、
織田、今川、武田、上杉、徳川などと互角に渡り合い、関東を治めた
北条の話は面白くできるかもですね。


なかなかの城郭規模で予想外に良かったです。この城は結局落城寸前となった
ことから、氏照は新たに八王子城を築城して移ることとなり、そのまま廃城になります。
八王子城は実家のそばで良く行ってました。またいずれ懐かしみに行こうかと。