3日目です。
洗顔、歯磨きなど終え、七ヶ宿ダムをちょっと散歩がてら。
小雨が降っていたので釣りはしませんでしたが、ちょっといい雰囲気
で少し投げれば良かったです。バスは駆除に力入れてるようですが、
居るようですね。
●白石城
伊達家臣・片倉景綱が城代になった城として有名ですね。好きな武将の一人
なので感慨一入です。
明治まで存続した城でしたが、廃城令によって天主や石垣など更地にされた
そうで、遺構はほとんど無いです。復元された天主や門はなかなか立派ですが、
それだけでした。実際は幾重にも外郭があり、堅固な城であったようです。
次に車で5分ほどで行ける景綱の墓のある傑山寺へ。
なんだかやたら綺麗な本堂のまん前に景綱公の銅像が。なんか違和感
ありますね。まだ新しいものですが、なかなかイメージに合う像ですね。
お墓は裏山を少し登った静かな山中に、墓標の代わりに一本杉という
なんだか景綱らしい?趣でした。合掌。
宮城はこれで後にし、福島へ南下します。
●霊山
東北山岳仏教の一大中心地として開山された霊山(りょうぜん)。その奇勝
を見に寄ってみます。
周囲のなだらかな山々の中に突如出現する岩肌が異様です。岩櫃山に雰囲気
が似ている感じがします。比高800mくらいで軽登山でも有名だそうです。
にしても相馬へ向かうここまでの道は少し渋滞していました。まだまだ復興作業
関連の車が多いようですね。
福島市へ折り返し、途中昼食を取って、南下を続けます。
●二本松城
戦国時代は二本松氏の居城。その後、伊達、蒲生、上杉、加藤と城代は移り、
江戸時代に丹羽氏の居城として大改修されました。この城も廃城令によって
いったん破却され、近年に門や櫓、本丸や天主台石垣が復元されました。
日本100名城でもあります。
麓の御殿周囲と、山頂にある本丸との二段構成になっている、なかなか
広大な敷地の城です。戊辰戦争で戦死した二本松少年隊の像がありました。
復元された箕輪門と附櫓。なかなかなものです。
山頂の本丸を目指します。途中、井戸や土塁、石垣など遺構がきれいに
残っています。整備がとても行き届いてますね。
本丸石垣の一部で、左奥は蒲生氏郷時代に抱えられた穴太衆による
穴太積みだそうです。
ようやく本丸に辿りつきました。因みに山の裏から車でかなり上まで
来ることはできます。復元された石垣群が見事ですね。天気は雲りでし
たが眺望は良かったです。
復元された石垣や門はとても立派で、城域も広く、整備が行き届いていて、
とても良い観光スポットです。ま、戦国期の城の面影は皆無です(苦笑。
●人取り橋古戦場
南下を続け、途中にある人取り橋古戦場跡に。二本松城攻略していた伊達軍約7000
に対し、佐竹、蘆名などの南奥諸大名連合軍3万が援軍として激突し、政宗が完敗
した合戦です。しかし結果は連合軍が様々な理由から急遽撤退することとなり、
伊達軍は辛くも壊滅を免れるのです。
因みに田んぼの中にポツンとあるので、車を停める場所などはありません。近くに
路駐して畦道を通ることになります。
古戦場跡の碑ではなく、政宗を逃がすために殿軍を務めて戦死した
猛将・鬼庭左月斎の碑となっています。
●白河小峰城
この城も戦国期の城跡というより、江戸時代に丹羽長重によって大改修され、
東北では珍しい総石垣の城となったそうで、日本100名城にもなっています。
城規模はさほどではありませんが、石垣は確かに見事です。天主も小ぶり
ですが、なかなかいい感じですね。東北地震で石垣が崩れてしまい、復旧
が行われています。熊本地震で崩れた熊本城も、この白河城の復旧仕方を
参考にするようです。いずれの城も頑張って将来復旧されること祈ってます。
そのまま一般道をタラタラ南下し、どこから高速に乗ろうか迷ってましたが、
以前日光に向かう時に降りるIC間違えて、通り過ぎた後に慌てて降りて再度入場
した上河内SAのスマートICから乗ることに。あぁココ、ココと懐かしみました(笑。
初の3日に渡る車中泊旅でしたが、充実しました。
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