昨日かなり疲れたので熟睡し、予定より少し寝坊。焦って準備
しつつ、6時くらいに桧原湖の昨日先行者が居て入れなかった桟橋に。
誰も居なかったので大いに期待しつつ連投しますが、無反応。小バスは
やたら居たのですが、大人バスは影無し。2Hくらい粘りましたが何も
ないので、昨日釣れた別場所へ移動。しかしここでもバイトが1度あった
くらいで何も無し。今日は晴天なのでシェードにでもいってしまったので
しょうか。おかっぱりで攻められそうなシェードは見当たらず、名残惜しい
ですが9時くらいに納竿。山形へ向かうことに。
途中桧原湖が一望できるポイントに。いやぁさすがにスモールの聖地とも
いうべき素晴らしい湖でしたね。また真夏にでも来てみたいです。
白布(しらぶ)峠を越えて山形に入ります。途中展望駐車場で休憩。
ちょっとガスってますが、晴天でいい景色。気持ちいいです。
峠を下ると米沢市です。
●米沢城
米沢城。伊達政宗生誕の地であり、伊達家の本拠地です。その後秀吉の
奥州仕置で上杉家の飛び地として直江兼続に与えられ、そして江戸時代に
上杉本家が会津を召し上げられ、こちらへ減封されてしまい、以降上杉家
の拠点となるわけです。
城というより上杉神社として観光地化されています。武田神社に赴きが
似ている感じがします。毘龍旗が見えてきました。
謙信公に拝謁。なかなか精悍ですが顔がなぁ(苦笑。春日山城の立像の
方がイメージ合ってる気がしますね。因みに謙信の遺骸は米沢に移されて
います。
景勝と兼続の像。なんか双子のように背格好や顔が似ていて、
ちょっと今一感(苦笑
兼続公像。なんか巨大で、ちょっと・・・
政宗生誕の地の碑もありました。
上杉神社に拝謁しました。ここは本丸ですが、この神社境内が
大部分で、城の遺構のようなものはほとんどありませんでしたね。
ま城というより上杉神社という観光地というところで。
ついでに近くにある林泉寺へ寄りました。上越の林泉寺を上杉家転封に
伴い移した寺です。過去に上越の林泉寺にも行ったことがあったため、
こちらにも是非行きたいと思ってました。ただ、お寺なので無料かと思いき
や拝観料500円も!。しぶしぶ払って中に入ろうとすると窓口の人にあわてて
呼び止められ。どうやらいろいろあるそうでちょっとムッとされた(苦笑、
まずパンフレットを渡され、本堂の中に案内されて拝観前のお参りをさせられ
ました。必ず行ってもらうのだそうです。ま神聖なお寺の拝観ということで
仕方ないですね。終わったらお礼も言われました。
その後、数々の上杉家ゆかりの宝物や掛け軸、林泉寺建立やその後の歴史
などなど、案内係りの人からの丁寧な説明がいろいろあり、なかなか見ごたえ
はありました。なるほどこれなら拝観料必要は納得です。毎回ここまでの案内
は大変だ。ただ兼続の墓を見るだけの予定がかなりオーバーしてしまいました(汗。
なお本堂及び宝物館内は写真撮影禁止でした。
墓所へ行くと、吉江、甘粕などの重臣の墓や武田信清(信玄6男)、
景勝の実母である仙桃院、景勝の妻菊姫(信玄4女)などのお墓が
並んでいます。墓石は特徴的な万年塔という米沢特有のもので、兼続が
考案したものだそうです。有事の際には上の屋根?部分を外して、防壁と
したり、土を詰めて土嚢とできるようにしたとのことです。
直江兼続と正室お船方の墓です。合掌。
なお、謙信や景勝など上杉歴代当主の墓はこちらではなく、上杉家御廟所に
なります。どうやら曹洞宗の本寺には宗派違いで入れなかったためだそうです。
林泉寺を後にし、山形市へ向かう道すがら昼食を取り、長谷堂城へ寄ります。
●長谷堂城
関ヶ原合戦と呼応して、上杉家が東軍勢である最上家に攻め入り、
東国の関ヶ原と呼ばれた激戦地として有名です。直江軍18000が包囲
して激しく攻め立てますが、最上重臣・志村光安が善戦し、半月も持ち
こたえます。そのうち関ヶ原での西軍の敗報が伝わると、兼続はそこで
自害を覚悟したとされますが、前田慶次郎に諌められ米沢に撤退したと
伝えられています。
比高85mの城山という、お椀を伏せたような丸い独立丘全体を城にしたのが
長谷堂城です。麓の駐車場から続く入り口より登り始めます。なお案内板の
ところに丁寧な城マップが無料で置いてあり、散策にとても役に立ちました。
他の山城でもこういう気の利いたもの欲しいですね。
いきなり延々続く石段を登ります。
帯曲輪がありいったん平坦部になりますが、また上りになります。
切岸や復元された柵などかなりいいですね。案内板もきれいで丁寧です。
本丸着です。いやぁー疲れた。眺めはいいですね。かなりの広さが
あります。
各曲輪や二重横堀、帯曲輪などの遺構を見ながら裏に回りつつ下山します。
途中、直江軍が布陣した山々が見えました。うーむ激戦当時のシーン
が何となく思い浮かびますねー。しみじみ・・・
いやぁなかなか遺構が残っていて、まさに激戦が行われた、戦国期の
THE中世山城といった趣で、とても良かったです。
いよいよ最上本城、山形城へ向かいます。
●山形城
日本100名城の一つでもある、奥羽随一と言われる最上家の居城です。
別名霞城(かじょう)とも言われています。義光時代の57万石時点では
国内で5番目の広さがあったそうですが、石高が減るにつれ規模は縮小
したそうで、現在の遺構も本丸と二の丸のみとなってます。
本丸の空堀。かなりの深さがあります。
復元された本丸一文字門の石垣。きれいです。下に落ちている石は
崩落したかつての石垣の石だそうです。
一文字門いいですねー。枡形虎口になっています。ただこの門
を抜けた本丸御殿広場は発掘中とのことで更地です。
二の丸東大手門へ向かう途中にある義光公像。なかなか勇ましい像です。
こちらが復元された二の丸東大手門。いやー立派です。二の丸堀は
水堀になっています。門の内部が期間限定公開されていて、発掘された
貴重な瓦などが展示されてました。
遺構は少ないですが、その規模感は感じられました。復元された門も
立派で、今後の本丸御殿復元なども期待ですね。ただ野球場や体育館
があったりで、ちょっと興ざめ感もあります。なにしろ観光中に、高校
球児達がランニングやダッシュしていて、私が通りかかると一人ひとり
が立ち止まって帽を取り、いちいち「こんちは!」と言ってくるのには
驚きと戸惑いが。どうリアクションすればいいのでしょうか。あんな
大勢に対し(苦笑。仕方なく軽く頭下げ足早に去りました(汗。
さて日もだいぶ暮れてきたので、ここから蔵王を目指します。
温泉はたくさんある中、無難そうなZAOセンタープラザのゆー湯という
ところに。
http://www.center-plaza.jp/spa/index.html
ま、古い温泉ということでそれなりに古ぼけた感。また冬はスキー客で
賑わうでしょうが、今の時期は町に全く人気が無く閑散としていて、
寂れた感もあり。。。
さっぱりして小休止した後、蔵王越えして宮城に向かいます。
少し峠道を走り始めると・・・
まさに暗雲が。
来ました濃霧です。同行車、対向車とも全くなく、不安になりつつも
横断決行です。
日も暮れてきて小雨まで。フォグランプ点けても視界10mといった
ところでしょうか。EyeSightも自動停止してしまいました。
でもなんかワクワクしながら走ります(苦笑。
しかし峠を下り始めると霧はウソのように晴れてきました。そのまま夜の
山道を走り続け、道の駅七ヶ宿に21時頃着。コンビニおにぎりなどの夕食
を摂り、TVや読書などして23時頃就寝。2日目終了です。
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