2日目です。8時前に起床。朝一からいよいよ関ヶ原に乗り込みます。
●関ヶ原古戦場
渋滞もなく、隘路を抜け到着です。まずは最も手前の史跡、
桃配山の家康最初陣跡です。
目の前に関ヶ原が広がっているのかと想像してたのですが、実際は
かなり山の奥に位置していて、戦場地は見えませんでした。ま大将の
陣ですからね。こんなもんなのでしょう。合戦終盤に陣地移動します。
次に本多忠勝陣跡を目指しますが、わかりにくく通りすぎてしまい、そのまま
道なりに進んで松尾山を望む場所に。ちょうどトイレがあったので用足したあと、
再度ナビで確認してようやく辿り着きました。車は近くの病院駐車場をお借りし、
徒歩で目指すも、案内板辿ると民家の庭先のようなところに。こんなとこ入って
いいのだろうか(汗。
次は関ヶ原中心部の町役場と歴史民族資料館のそばの家康最後陣地跡へ。
さすがに観光者がチラホラ出てきました。因みに歴史民族資料館にレンタル
サイクルがあります。当初借りる予定でしたが、結局車で回ってしまうことに。
すぐそばに田中吉政陣跡。三成の親友だったらしいですが結局東軍となり、
かつ敗走する三成を捕らえたのも吉政なのです。
次に北上して、岡山烽火場という黒田長政、竹中重門の陣跡に。
小高い山の中腹にあって、ここから戦闘開始の烽火が上がるのです。
笹尾山から天満山を望みます。いいですねー。
次に山を降りて、決戦地と名打たれた最大の激戦地に。笹尾山に布陣した
総大将三成に、黒田、細川、加藤らの諸隊が殺到した地というわけです。
桃配山方面を望みます。かなり距離があります。
そこからすぐの笹尾山・三成陣跡へ。さすがにここの駐車場が最も大きいですね。
5分ほどの登山になります。
いやぁー来ましたね。コレですよコレ。戦場一帯が見渡せます。まさに東軍
の大軍勢を真っ向から迎える当時の三成の心情に思いを馳せます・・・。
三成陣の隣の島津陣跡に。三成の支援要請を断り、最後まで戦闘に加わら
なかったということで、果たしてどんな思いで周囲の激戦を眺めていたので
しょうか。丸に十の字が光ります。
次に天満山・宇喜多陣跡へ向かいます。結構広いはずの駐車場にいきますが、
ほぼ満車!なんとか一番端にギリギリ停めますが観光客では無く、地元の
ゲートボール愛好者方の車でした(苦笑。
駐車場から出ると、手前に「開戦地」という史跡碑が。天満山の麓なので、
ここは明石全登陣だったのでしょう。
松平忠吉と井伊直政による福島正則を出し抜いた宇喜多隊への先駆けにより、
合戦の火蓋が切られるわけです。関連大名の旗印が林立していていいですね。
そのすぐそばに小西行長陣跡。
その後、宇喜多陣跡である天満山へ向かいます。山道に入るも途中で民家脇の舗装
道路に出て、15分ほど歩きようやく入り口に。帰路も考えるとちょっと失敗しま
した。車でこの辺りまで来るべきでした。
おぉ、かなり山奥ですね。西軍最大の1万7千もの軍勢がこんな山の中に
布陣してたんですね。恐らく山全域が陣だったのでしょう。
ここで「大谷吉継の墓まで20分」の看板が。ここまで15分ほど歩いて
きて帰り道も考えるとパスするかな、とも思いながら目指して山道を歩き
始めてました。しかし歩いても歩いても先が見えず、しまいには小さな
ダム湖のダムを渡り、更に急斜面の山道に。ここまで10分ほど歩いたところ
でさすがに心折れ断念。帰り道25分ほどかけてようやく車に。かなり時間と
体力をロスしてしまいました。帰って来たらゲートボール軍団の車は全て掃け
てました(苦笑。
次は大谷吉継陣跡を目指します。大谷陣も山中にあり、その登山入口近辺に
路駐します。そのそばに平塚為広陣跡がありました。吉継隊を最後まで支援し
指揮を継いで寝返り組を迎え撃った義将ですね。
山道を進むと、先ほどパスした吉継の墓まで1分の看板が。さっきの逆側から
のルートだったんですね。早速行ってみます。
静かな山中にひっそりとありました。隣には家臣湯浅五助の墓も。
小早川の寝返りにより隊が壊滅、西軍も総崩れし、さぞ無念の中での
自害だったのでしょう・・・合掌。
次に陣跡に。山中のため、どうやら土塁などで陣地構築していたとのことです。
さらには松尾山眺望地という監視ポイントも。ここからじっと動向を探って
いたんですね。
次に山を降り、福島正則の陣跡へ。住宅地の中にありましたが、目の前に駐車場
も完備。それを知らず結構離れた空き地に停めてしまいました(汗。
次にと藤堂高虎、京極高知陣跡を探しましたが、どうやら学校の中のようで
車も停められず断念しました。
残すは松尾山ですが、ここまでだいぶ時間を要してしまい、予定では昼食前
に登る予定がもう12時回ってました。コンビニで昼食を急いで食べながら
考え、残念ながら断念することにしました。やはり関ヶ原は1日かかりますね。
取り合えずチェックしてた松尾山登山口の駐車場を目指しますが、道路が
建設中で辿り着けず。Googleマップでは完成してるように見えたんですが
ね(苦笑。近くの脇坂安治陣跡へ。賤ヶ岳の七本槍の豊臣恩顧大名も寝返りの
タイミングをずっとこの地より狙っていたんですね。地に落ちたものです。
最後にまた中央の町役場に。道に各大名の旗印が林立していていいですね。
そしてそのそばの松平忠吉と井伊直政の陣跡に寄り、最後にします。
いやぁ念願の関ヶ原。さすがにお腹一杯です(笑。あまりゴテゴテ観光地化
されておらず、ちょうどいい感じのローカルさも相まって雰囲気がありました。
ま前述しましたが丸一日はかかりますね。いつかまた訪れたいと思いました。
名残惜しいですが、関ヶ原を後にし滋賀県に入ります。
●姉川古戦場跡
小谷城を目指す途中にありました。織田・徳川 VS 浅井・朝倉の有名な合戦
ですね。寄ってみます。途中伊吹山の威容も見えました。
ちょっとド派手な看板があってあまり風情が無いですね(苦笑。
川を渡る手前では広大な田園が見渡せ、戦場のイメージが湧いたのですが、
川を渡ったこの古戦場碑のところからは今一景色も良くなく。再度川戻って
写真取り直そうかと思いました。止めましたが(汗。
そのまま小谷城を目指します。
●小谷城
浅井家の本拠。茶々、初、江三姉妹の生まれ故郷ですね。堅城でしたが織田軍
に攻められついに落城してしまい廃城になりましたが、遺構は良く残っている
ようで、国の史跡にもなっています。
麓の登山口にあたるガイド館の駐車場に車を置き、登山口へ。
NHK大河記念の巨大な兜がありました。
本丸まで相当距離があり、果たして辿り着けるのか?と思っていると、どうやら
今の期間車で上まで登れると看板に書かれている!車に戻って上まで行ってみました。
さすがに標高高くなると紅葉も綺麗です。
いざ攻略開始。まずは本丸を目指します。途中連郭式に各曲輪が続きます。
石垣があります。非常にきれいに残ってますね。復元だろうか?
大広間跡、本丸に着きました。建物跡と思われる石が散乱しています。
当時なままなのでしょうか。だとすると凄いな・・・!
本丸と京極丸を分断する大堀切。
三段構成の中丸。
そして京極丸です。秀吉にここを落とされ本丸が孤立し、長政は自刃して
落城してしまうわけです。
小丸
山王丸
山王丸の東側に、この城最大規模の大石垣があります。
だいぶ脇へ周り、到着。
本丸からの眺望。信長が本陣を置いた虎御前山が見えます。
琵琶湖も見渡せていい景色ですね。で下山です。
最後車停めた場所までの直線の紅葉が見事でした。
いやぁ予想以上に遺構がいい状態で残っていて、その規模の大きさ堅固さ
を感じられました。ここに織田軍団が攻め寄せ、長政がそれを頑強に防ぎ、
長期戦になった攻城戦が偲ばれます。そしてお市と娘三姉妹を信長の元に
返し、久政長政親子は自刃して果て、浅井家滅亡。厳しい戦国の世ですね。
関ヶ原や小谷城を満喫し、いざ琵琶湖へ。バスボートを牽いた車が走っていたり
でテンション上がってきますが、ま釣果は期待しません。気温が低いため、バス
が避難してると思われる港に行ってみました。
寒風も強く、かなりの苦行で魚の気配も無し。バサーも居ません。日の入りまで
1Hほどですがやってみましたが当然無反応。ま明日に期待ですね。帰り間際に
地元バサーが。夜釣りでもするのかな。
今晩の車中泊先の道の駅「せせらぎの里こうら」に向かう途中の極楽湯で温泉に。
http://www.gokurakuyu.ne.jp/gokurakuyu/tempo/hikone/
夕飯は隣にあった天下一品で。久しぶりにこってりを堪能です(笑。
道の駅は、まだ新しいようで真っ暗な田んぼの中にあり、わからず通り過ぎて
しまいました。ナビを見直してようやく発見。明日朝早いのでさっさと寝ました。
http://m-koura.jp/
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