ようやく天気も安定してきたので、久々に一泊遠征にと。
しかしまだ2月。当然、東北や甲信越はスタッドレスでも無いと
無理と判断し、雪が無い千葉に向かうことにしました。
ただそれでも夜は相当の冷えこみは間違いなく、一度真冬の車中泊
を経験しておこうと、万全の体制で臨むことにしました(笑。
概要プランは以下。
1)首都高~京葉道~東金道~圏央道~銚子連絡道と夜間走り、旭市にある
「季楽里あさひ」というできたばかりの道の駅に。そこで真冬の車中泊決行。
2)屏風ヶ浦を観光。
3)銚子へ。ウオッセで昼食。
4)久留里城を攻略。
5)アクアラインで帰宅
道の駅に着き、2台ほどしか停まっていない駐車場の端の方に車を駐車。
すでに時刻は深夜0時を回っており、外気温は5℃くらいに。
車内が暖房で暖かいうちに、サンシェード、エアマット、シェラフを準備。
ヒートテック上下をインナーに、ダウンと厚手靴下とマフラーを着、ホカロン
を腰に貼る、という完全防備。TVでスーパーボールを見ながら眠気を待ちました。
試合中継も終わり、少しウトウトしてきたのでシェラフに潜り込みました。
シェラフの耐久気温は15℃しかないのですが、これだけ厚着してるので、最初は
なんとか行けるかな、と感じてました。しかし・・・
やはり真冬の車中泊をなめてはいけない。しばらくすると体温も低下したためか寒さ
がこたえてきて震えが止まらず。そこで一度エンジンをかけて暖房で車内を暖めて
から、非常用に常備していたサバイバルシートに包まってシェラフに入ってみました。
若干耐えられる程度にマシになりましたが、結局朝まで熟睡できず朝を迎えることに
(泣。真冬の車中泊失敗です・・・
その後、反省を踏まえ次回は以下を準備しようと考えています。
1.ストーブの準備。家にあるカセットコンロを持ち込もうと思っています。
寝る前に熱いスープ飲むのもいいかもしれないですね。
2.毛布持ち込み。サバイバルシートは最初暖かいですが、そのうち体温による
結露で冷たくなることをネットで知りました。
3.もっとホカロンを。
4.サンシェードを断熱効果の高い銀マットで自作するか。これもネットで
学びました。
登山用の本格シェラフを準備すれば一気に解決するのでしょうが、やはりそれでは
車中泊の味が出ないし、あまり費用もかけたくないので。つうか次回はあるのか(苦笑。
●屏風ヶ浦
そんなこんなで朝を向かえ、少し寝不足ながらも洗顔、歯磨き、体操、ホットコーヒー
で目を覚まし、屏風ヶ浦に向かいました。
東洋のドーバーとも呼ばれるココには前から来たく思っていました。
いやぁ想像以上にすごい景観です。しかしこんなすごいところなのに、
そばに寄るのは危険(波や崖崩れ)とのことで、観光地化はされていません。
事前にストリートビューなどで撮影ポイントを吟味し、上の写真は、飯岡漁港の
脇から出られる小さな砂浜から撮ったものです。一応海岸沿いに歩けそうな
防波堤がありますが、立ち入り禁止になってます。が荒波が絶えずかぶり、割れ
まくってるそこにはおよそ立ち入る気にはなれませんね。
銚子寄りの反対側の端、銚子マリーナ海水浴場からのショット。しかし延々
続く壮大な眺めです。太平洋の荒波の破壊力は相当なものですね。
しかし防波堤を作ってこれ以上の削減を食い止めたのはいいが、この屏風ヶ浦
の削り土砂が九十九里浜の砂を補充していたらしく、近年は九十九里浜がどんどん
消失していってるそうで。難しい問題ですね。
銚子港のウオッセという展望台やお土産店のある施設に寄り、海鮮丼を。
その後、九十九里浜沿いを南下して一宮町まで。しかし湘南のような海岸沿い
の爽快な眺めを期待してたのですが、道は内陸に寄っていて、ほとんど海を
見ることはできなかったです。一宮町から内陸に方向を変え、一路久留里を
目指します。
●久留里城
久留里城は戦国期に房総を支配していた里見家の城として有名。後北条と争奪を
繰り広げ、最後は奪還しています。典型的な中世山城で期待していたのですが・・・
結論は今一。
比高150mくらいの山城。麓の三の丸にあたる部分の駐車場に車を停め、いざ登ろう
とするといきなり舗装道路(苦笑。どうやら管理関係車は上まで車で行けるそうで。
しかたなく登り始める・・・
そしたらすぐ脇道案内が。どうやら私のように遺構を感じたい人用の道のようで。
迷わず行けよ、行けばわかるさ。
土塁跡?か武者走り?に該当するような郭の縁らしき遺構とも思える細い道を
登ります。
堀切がありました。
すぐ二の丸につき、まもなく本丸とのこと。途中井戸跡や小さい郭などの遺構
もありましたが、規模も小さく、また上の写真のようにコンクリ柵や街灯、青い金網
などで変に整備され、今一山城の風情を感じられません。
本丸に着き、模擬天主を見ます。小ぶりですがなかなか良い天守閣ですね。
しかし戦国期には天主は存在せず、江戸末期に建てられたという天主とは
およそかけ離れたもの(浜松城天主を参考?)だそうです。中に無料で入れ
ますが、格子窓からしか外は見れませんので眺めも良くないです。
本丸からの眺め。久留里市街地は右奥方向にあたり見えません。
おまけ。帰りは舗装道をまっすぐ下ってきたのですが、途中に堀切の案内が。
この舗装道で尾根を削ってコンクリで固めた際、形だけ残したようです。
この上が登りで通った道になり、実際の堀切は前述写真とおり。
しかしこんなコンクリ固めの堀切跡って・・・(苦笑。
城郭規模はほぼ現在畑となっている三の丸などを含めるとかなり広大であり、
急峻な尾根を利用したそれなりに堅固な山城であったと想像でき、北条と激戦を
繰り広げたことは納得しましたが、どうも遺構保存仕方が良くなく、中途半端な
公園化と相まって幻滅しきりでした。江戸、明治時代にどんどん改修されて
しまったのでしょうかね。
帰りはアクアラインで。強風で速度規制がかかっていて、海ほたるの入り口
付近では風に煽られた海水のしぶきを車にあびました。いきなりワイパーが
動きビックリ(苦笑。しかも海ほたるについて車内で休憩してたら、その強風
で車が揺れる揺れる。どんな風だよ、と思いながら渋滞の待つ川崎方面へ。
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