2015年9月14日月曜日

新しい湖と戦国史上最大の山岳戦跡

今日は相模湖、津久井湖のさらに奥にある宮ヶ瀬湖へ。
この湖は初めて来ました。そもそも出来たのが1998年とのこと。
まだ20年も経ってない新しいダム湖というわけです。
広くきれいに整備された入園無料の公園やつり橋、冬にはイルミネーション
も有名ですね。釣りは禁止。無料駐車場あり。
ま個人的には特に見所なく、ひとまず公園を一回りして食事処で遅めの昼飯
を食べ、いざ目的地の三増峠へ!
三増峠とは戦国野郎にはピンと来るのでは。武田vs北条が激突した有名な
合戦場跡があるのです。この合戦は小田原攻めに失敗した武田軍が甲府へ
帰る際北条軍の待ち伏せを受けて始まった、戦国史上最大の山岳戦とも
言われています。


宮ヶ瀬湖。湖も広くて水質もきれいでした。



そして三増峠に。まずは"信玄の旗立松"へ行き、そこからの三増合戦場を俯瞰。
遠く横浜も見えました。
信玄の旗立松とは信玄が本陣を置きそこにあった松に大将旗を立てたと言い伝え
が残る小山の頂のことです。なるほどここからなら戦場が一望できます。
信玄も見たかもしれない風景に感慨も一入(T_T)
なおここは観光地化されているわけではなく、東名厚木CCの駐車場から小さい案内
看板と、多少整備されている丸太階段や啓開されている獣道を辿っていくしかあり
ません。


こんな感じの看板を頼りに(苦笑

駐車場脇の、このこんもりとした小山がそう。地図で
みるとゴルフコースの中の位置に。


結構な急坂を15分ほど登ると、石碑やベンチや柵などがある頂上に着きます。
ただ夏なので、終始藪の中を草を掻き分け踏破することに。大量のくもの巣や
ヤマビル、加えて最近の台風によるものでしょうか、新しい倒木が道をさえぎっ
てて、それをよじ登って跨ぐことになったり、作り物のような鮮やかな色の巨大
なキノコが群生してたり・・・となかなかなアドベンチャーでした(苦笑。
短パンやサンダルでなくて良かったです。冬がお奨めかもですね。


東名厚木CCの駐車場を出てから、車で5分ほどで三増合戦場跡へ。
石碑と説明図、墓標、休憩所があります。車は脇の空き地へ駐車。
あとは・・・養豚場でもあるのかな、芳しい香りが辺りを充満(苦笑。


布陣図がありましたが、アレ?上が北、つまり甲府側で下が相模側なのにな・・・?
そもそも三増合戦とは、甲府へ帰ろうとする武田軍を上野方面から南下してきた
北条氏照、氏邦らが高台である三増峠に着陣して退路を断ち、小田原からの氏康、
氏政本隊を待って挟撃を企図したもの。であるなら甲府に近い峠側が北条軍で、
低地の相模側が撤退してくる武田軍では?つうかそもそもさっき行った旗立松も
武田本陣位置としてはおかしいよなぁ・・・
で少し調べたところ、北条側は確かに峠高台に陣を張ることに最初成功したよう
ですが、そこで武田軍は軍を3隊に分け、山県隊などを西に位置する甲府への帰路
志田峠方面へ左翼隊として先行させ、その後に荷駄隊含めた中央隊を、信玄等本隊
が右翼、という編成とし、そして撤退に見せかけて(?)三増峠西側へ回りこもうと
したのではないかという。小田原からの本隊がまだで、挟撃の見込みが無くなった
ことから、氏照、氏邦らは目の前を撤退していく武田軍を見て焦り、低地へ下って
信玄本隊、つまり最後尾へ追撃の形で攻めかかることを考え、それに対して逆に
武田の左翼や中央隊が北条軍の側面、後背より攻めかかる形で高台に移動し、結果
して武田軍と北条軍の位置が見事に逆転してこのような陣立てになったのでは、と
いう説が有力なようです。
因みにこの布陣図は武田の公式軍学書で著名な甲陽軍艦に載っているものだそうな
ので、信憑性は高いようですが、ここまで整然と双方が陣立てした上で開戦したか
は個人的に疑わしいところですね。信玄のライバルである氏康の息子である氏照や
氏邦という若輩を、老練でかつ山岳戦に長けている信玄がまさに手玉に取った、と
いう展開だったのではないでしょうか。
双方犠牲が多かったですが、北条側の方が犠牲が多く、武田軍が無事帰還できてい
るわけなので、武田勝利と言っていいのでしょう。ただし武田も浅利信種などの重臣
を失い、そもそも帰還途中を挟撃されかけるという絶対絶命の状態に陥ったわけで
(そもそも小田原攻略失敗してるし)、北条もさすがという感想です。

・・・そんな思いも馳せた、なかなかのドライブでした。


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